大阪の心地に根差し、1864年から続く丸萬本家は、
厳選された海の幸を使った魚すきを通じて、季節ごとの美味を提供しています。
厳選された魚と出汁を追求し、多くの食通たちを魅了し続けています。
歴史に培われた独自の魚すきを通じて、大阪から世界へ。
一過性の流行に流されず、希少な食文化の継承者として、
私たちは大阪の食文化を未来へと繋げています。
丸萬本家の歴史
明治時代の料理店案内より
(大阪市立中央図書館蔵)
伝統と創業。丸萬本家の始まり
幕末の元治元年(1864年)に大阪で創業した当店「丸萬本家」は、初代店主の飯井藤吉が能登(石川県)から大坂へやってきて開いたものです。武士をやめて大坂で店を開こうと決意した藤吉が訪れた瓢箪山稲荷神社(東大阪市)で辻占をし、「西のにぎやかな場所で商売せよ」とのお告げを受けて戎橋の南詰に店を構えました。またその辻占で盆に饅頭を載せた人が通ったので丸萬という店名に決めたという伝説があります。
戎橋南詰の洋館
(昭和4年完成の店舗)
五代目と六代目による「魚すき」の完成と洋館への進化
五代店主の後藤市蔵、六代店主の武美によって現在の魚すき(海魚すき)は完成し、その苦心によって極められた「魚の臭みを感じさせないだし」による魚すきが浪速の名物として定着。昭和4年に戎橋南詰の店が洋館に建て替えられました。この建物は大阪ミナミのシンボルとなり、さらに賑わったそうです。
昭和4年完成の洋館の入り口
洋館 2F 広間
銅製の原版から甦った初代店舗の外観
初代店舗の銅製原版から復元された「丸萬本家」の遺産
これは初代店舗の写真を製版(エッチング)した原版で、製作時期が不明ですし、現在の印刷技術では印刷することができません。苦労の末、京都で見つけた古い印刷機械によって、印刷が甦りました。
店主ご挨拶
江戸末期元治元年より令和へと大阪食文化遺産の一つ「魚すき」を受け継いでいくことが出来ましたのはかつて大阪ミナミで共に育まれた文化、芸能であり、支えて頂いた多くのお客様であったことは言うまでもありません。
又「魚すき」にとって欠かせない弊社独自の出汁であり使い続けている鍋や鉢があります。
今後これらを大切にお客様への感謝を忘れず時代を繋いでいくことだと考えております。どうぞ今後とも御贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。
9代目店主 後藤英之
丸萬本家のこだわり
厳選された魚
産地には特にこだわりませんが、出汁と相性の良い脂ののったものを選びます。切り身の形にもこだわりがあり、出汁がしみこみやすいよう工夫しています。
特製の甘辛い出汁
代々受け継がれている「一子相伝」の秘伝の出汁。継ぎ足しではないが、戦火をくぐり抜け残った物を引継ぎ、時代に合わせ改良しています。
長年親しまれた魚すき
「⿂すき」とは、「鍋」ではありません。「⿂のすきやき」です。「⿂すき」は、鯛、鰆、海⽼など季節の鮮⿂と野菜、焼⾖腐、⽣麩などをとり合わせ、秘伝の「だし」で炊きながら味わう料理です。